経営戦略の歴史を学ぶ➆
前回から引き続き、経営者・起業家・イノベーターの皆様におくる今回の経営のヒントは「マンガ経営戦略全史確立編 三谷宏治著」です!(#^^#)
かの優秀な先人たちが悩み・苦しみ・研究し編み出した、経営戦略。
それでは、経営戦略の歴史を読み解いていきましょう~!(#^^#)
【前回までの記事】
ケイパビリティ派の群雄割拠
ゲイリー・ハメル(1954~)
1991年を底とするアメリカの不景気から、それ以降120ヶ月10年も続く好景気にアメリカは波に乗りました。
1994年にゲイリー・ハメルと恩師のC.K.プラハラード(1941~2010)は「コア・コンピタンス経営」を出版します。
・なぜポーターらのポジショニング戦略は企業を救わなかったのでしょう?「経営戦略の歴史を学ぶ➃」
・なぜヘンダーソンのBCGの成長・シェアマトリクスは企業の成長には寄与しきれなかったのでしょうか?「経営戦略の歴史を学ぶ➃」 ・なぜピーターたちのエクセレント・カンパニー(超優良企業)は永続的でなかったのでしょうか?「経営戦略の歴史を学ぶ➄」 ・なぜハマーのリエンジニアリングはうまくいかなかったのでしょうか?「経営戦略の歴史を学ぶ➅」 (本書よりP191) |
過去のポジショニング派・ケイパビリティ派の戦略は時代、時代によってあわなくなっていきます(´;ω;`)ウッ…
既存の事業基盤にこだわりながらもそこからの成長戦略を唱えた「コア・コンピタンス」は、攻めの姿勢に転じていた経営者らに進むべき方向を与えたのです。
・企業が収益を生む源泉は、事業のポジショニングにも業務の効率性にもない ・その中心に位置する「コア・コンピタンス」が大切であり、その中でも競争力やニーズ対応力の素になっているものが「コア・コンピタンス」 これまでの経営戦略論にはこういった「収益につながる持続的で競合上優位なケイパビリティ=コア・コンピタンス」という概念が欠けていたからダメだったのだ、とハメルらは主張しました。(本書よりP194) |
企業が意識した「コア・コンピタンス」。現在でも、企業の存在価値を意味しますねΣ(゚Д゚)
コア・コンピタンスは技術でもチャネルでも人材的なものでも構いません。もしそのケイパビリティ(企業能力)が、
➀競争相手にマネされにくい ➁顧客価値(顧客が認める価値)を創出できる ➂他事業への展開力がある、ものでさえあれば(本書よりP194) |
ハメルは「ケイパビリティが先、ポジショニングは後。そして未来を読め」しかし、その未来はなかなか見えないのが現状ですね\(◎o◎)/!
リチャード・フォスター(1942~)
マッキンゼーのフォスターは1986年「イノベーション限界突破の経営戦略」をまとめ、大きな反響を呼びます。
イノベーション理論の始祖は、ヨゼフ・シュンペーター(1883~1950)です。1912年「経済発展の理論」の中でイノベーションについて4つを主張しています。
➀イノベーションの非連続性 イノベーションは「担当者の変更」を伴う。都市間交通手段が馬車から鉄道に替わったとき馬車事業者は1社も鉄道事業になれなかった。 ➁イノベーションの類型化 ➃起業家の役割 |
当時としては、あまりにも斬新すぎる考え方\(◎o◎)/!
イノベーションを担うのは起業家なのだ!!!Σ(゚Д゚)
フレッド・ターマン(1900~1982)
シリコンバレー自体を作り上げたスタンフォード大学のフレッド・ターマン。
そこでは、数々のイノベーションが生まれます。シリコンバレーはいまや世界一の起業の街(/・ω・)/
優秀な学生が集まる街には、起業が起こりさらに進化していきます。シリコンバレーはまさにその典型的な例。
しかし、アメリカ西海岸ばかりが目立ってはいません。東海岸のHBS(ハーバードビジネススクール)のハワード・スティーブンソン(1941~)もアントレプレナーの育成に乗り出したのでした\(◎o◎)/!
日本では、京都にベンチャー起業が多いと言われます。確かに京都は学生の街でもありますので環境としてはシリコンバレーに似ているかもしれません(#^^#)
あとがき
イノベーションを起こすのが起業家である。起業は、よくベンチャーと言われます。
ベンチャー起業、確かに世界を変えるほどの力をもつ企業はイノベーションを起こします。
GAFA(ガーファ)なんて典型的な例ですもんねΣ(゚Д゚)
イノベーション、価値創出、起業家精神、シリコンバレー。HBS、、、今でもよく使う言葉ばっかりだ・・・(゚Д゚;)
では次回いよいよ最終回か???続く~~(#^^#)