経営戦略の歴史を学ぶ➅

前回から引き続き、経営者・起業家・イノベーターの皆様におくる今回の経営のヒントは「マンガ経営戦略全史確立編 三谷宏治著」です!(#^^#)

かの優秀な先人たちが悩み・苦しみ・研究し編み出した、経営戦略。

それでは、経営戦略の歴史を読み解いていきましょう~!(#^^#)

【前回までの記事】

第1回「経営戦略の歴史を学ぶ➀」

第2回「経営戦略の歴史を学ぶ➁」

第3回「経営戦略の歴史を学ぶ➂」

第4回「経営戦略の歴史を学ぶ➃」

第5回「経営戦略の歴史を学ぶ➄」

 

 

 

 

 

 

ケイパビリティ派の群雄割拠

ロバート・キャンプ

前回「経営戦略の歴史を学ぶ⑤」で最強の特許網を築き上げた王者ゼロックスですが、1970年代の圧倒的強さから1982年代には市場シェアが13%まで落ち込みました(´;ω;`)ウッ…

ゼロックスの経営陣は日本企業の「品質・時間・コスト」に劣っていることを素直に認め「TQM」と「ベンチマーキング」の導入をしました。

TQM(Total Quality Management)とは、TQCで唱えられた、組織全体として統一した品質管理目標への取り組みを経営戦略へ適用したものである。日本語では総合的品質管理(そうごうてきひんしつかんり)と呼ばれるが、一般的にTQMを用いることが多い。総合的品質マネジメント、総合的品質経営と言われることもある。(Wikipediaより引用)

そして、ベンチマーキングの手法導入をしたのがロバート・キャンプでした!

ベンチマーキングとは他部署や他企業の優れた事例(ベスト・プラクティス)から目標や事例を学ぶこと(本書よりP169
競合相手の商品をバラして秘密を探る「リバースエンジンリアリング」に始まったベンチマーキングは、ゼロックスによって、内部ベンチマーキング(社内比較)、競合ベンチマーキング(業界内比較)、機能ベンチマーキング(業界外比較)、一般プロセスベンチマーキング(業界外比較)などに展開され、深堀りされました。(本書よりP174)

ゼロックスは倉庫業務をアウトドア用品通販のL・L・ビーンに学び在庫金額を削減させ、請求業務をアメリカン・エキスプレスに学び顧客満足度を上げます。ベンチマーキング活動の成果は1989年に市場シェアを46%まで回復させました(#^^#)

サウスウエスト航空はインディ500では素早く給油を入れるというベスト・プラクティスを学び、飛行機も発着時間を短くしてフライトのコストを下げることに成功します\(◎o◎)/!

ジョージ・ストーク(1951~)

BCGのジョージ・ストークは顧客の依頼により日本のヤンマーの工場の製造ラインを見ました。

ベンチマーキングは基本的にケイパビリティ(企業能力)の向上策であり、方向性やメリハリを伴った「戦略」ではありませんでした。しかし1988年、日本企業からの学びが基になってケイパビリティ重視の本物の戦略論が生まれました。それが「タイムベース競争(Time-Based Competition:TBC)戦略です。それを生み出したのがBCGのジョージ・ストークとフィリップ・エバンスでした。(本書よりP182)
ストークは「時間をベースにした戦略」という概念と「あらゆるもの(コストでなく)時間を測る」という手法を編み出したのです。

・自社の付加価値を上げるには、顧客の要望から対応までの時間を短くすることである。

・自社のコストを下げるには、あらゆるプロセスにかかる時間を短くすることである(本書よりP178)

トヨタやホンダはすでにフォードやGMの半分の時間で新車を開発していたという事実Σ(゚Д゚)

日本では新車の開発時の早い時期から関係する部門や会社が入り情報共有を行って開発を行いました。日本企業の系列の仕組みもうまくかみ合ったんでしょうね\(◎o◎)/!

付加価値の向上(差別化)とコストの低下(コストリーダーシップ)はポーターが唱えたように二律背反のものではなく、時間短縮によって同時に実現できるものだったのです。マッキンゼーの「ホンダ効果」や「7S」が開いたケイパビリティ戦略への扉を、BCGのTBC戦略が「ポジショニング」と「ケイパビリティ」の両立という形でくぐりぬけました。しかも測定・分析可能な姿で。(本書よりP182)

ポーターの差別化戦略とコストリーダーシップ戦略の両方をとれるTBC戦略、大テイラー主義と言われたBCGでは儲かったでしょうねww!(^^)!

マイケル・ハマー(1948~2008)

リエンジニアリングを唱えたハマーは「リエンジニアリング革命」という本を経営コンサルタントのジェイムズ・チャンピ―(1942~)と共に出版します。(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング:BPR)

リエンジニアリングは、フォードやGMが推し進めた中央集権の分業型組織への反省から生まれました。その「伝統的」なビジネスの仕組みをハマーたちは全否定したのです。(本書よりP188)

ビジネスの既存プロセスを「自動化せずにその業務をなくせ!」という情報システムを活用しようとしましたが、成功事例の会社と言われた3社も最終的には失墜していきました(´;ω;`)ウッ…

ハマーたち、チャンピ―の所属したシステム会社も1999年に最終的には破産したとのこと・・・

しかし、現在の日本の企業は昔からのシステムが入っている会社も多いと思われるのでここは「リエンジニアリング」かもしれませんね(/・ω・)/

あとがき

日本企業があたりまえのようにしていたことが、観察し調べられ発表され、どんどんまねていく企業が増加していきます。

日本企業の強みが、消えていく1990年代ですね(一一")

では、次回へ続く!!!

 

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