土光敏夫から学ぶ清貧と復興①

1945年戦争が終わり、早75年がたちました・・・

先人である先輩たちは日本の戦後、貧しくも一生懸命に働き世界経済ナンバー2の座に至るまでの経済大国に復興をさせました。

様々なことが起こる中で当時も不確実性ではありますが、未来をしっかり見据えて人々は生きていた。豊かな国となった現在の日本では昔の偉大な経営者やリーダーの存在の本を読むと本当に意思決定や思考、行動の参考になりますね\(゜ロ\)(/ロ゜)/

現在を生き抜く経営者・起業家・イノベーターの皆様におくる今回の経営のヒントは「清貧と復興 土光敏夫 100の言葉(著)出町譲」を読み解きましょう~\(◎o◎)/!

 

 

 

 

 

 

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土光さんってどんな人???

日本の名経営者・土光敏夫氏の紹介ですww

土光 敏夫(どこう としお、1896年(明治29年)9月15日 - 1988年(昭和63年)8月4日)は、昭和時代の日本のエンジニア、実業家。(略)石川島重工業・石川島播磨重工業 社長、東芝 社長・会長を歴任、経済団体連合会第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として「土光臨調」と称されている第二次臨時行政調査会でも辣腕を振るった。他方、橘学苑の理事長、校長を創設者の母から引き継ぎ、「メザシの土光さん」としても親しまれた。 次男の土光哲夫は東芝タンガロイの元役員。(Wikipediaより参照)

土光さんはもともとエンジニアで石川島重工の社長時代に合併によりIHIを創設した経営者、その後のキャリアがすごい、あの東芝の社長と経団連の会長、そして政府のお仕事もされています。お亡くなりになるまで、めっちゃ日本のために働かれました。すごい(´;ω;`)ウゥゥ

こんなに華やかな財界人となられた土光さんですが、生活は本当に質素・・・1か月3万円で生活をしていたとも。

お住まいのうちも本当に質素です。豪邸なんてものでも、お手伝いさんがいるわけでもありませn。

14、お金は使うべきところに使う(本書よりP47)

土光さんは無駄遣いをする生活ではありません。お金をためているわけでもなく、母親から引き継いだ橘学苑に自分の給料を投下していた。

人それぞれに生き方があるのだし、それを押し付ける気はないけれど、おカネは有効に使うことですよ。ネオンの街に消えてしまうもじゃもったいない。贅沢な生活になれてしまうと、、だいいち健康によくない(『土光敏夫 信念の言葉』)(本書よりP47)

だ、大企業の社長まで務めた人が素晴らしいです、本当に\(゜ロ\)(/ロ゜)/

私たちを励ましてくれる言葉たち

先人の言葉に嘘偽りなし。実践あるのみです\(゜ロ\)(/ロ゜)/

10、会社が終わってから勉強せよ(本書よりP39)
3、壁を毎日破れ(本書よりP27)
6、成功は成功の母である(本書よりP30)

本書の土光さんの価値観がつづられる第1章「底辺からの出発」。土光さんの努力の人、そして清いという言葉が詰まっています。

根性とか精神論じゃないんですよね、ほんと、「生き方」ですね(#^.^#)

あとがき

戦後日本経済を復興させた名経営者たち、豊かになる日本をどのように見ていたのでしょうか。

努力という言葉を一言に置きかえるのでなく、「継続することの重要性」を改めて感じました(#^.^#)

次回へ続く~!

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